企画者がデザイナーに求めること
森田 うらわ美術館の収集方針は「本のアート」と「地域ゆかりの作家」の2 点です。ですから、展覧会の企画も大体はこの収集方針に沿って立てられます。企画立案から展覧会開催までの期間は一概には言えませんが、広報物の製作については企画が固まった段階でお願いするのが一般的です。デザイナーに製作を依頼するにあたっては、さまざまなことを伝えます。コンセプトや内容だけでなく、私が展覧会に抱いているイメージなども最初の段階で知らせ、ディスカッションに近いやりとりをしていきます。
大溝 うらわ美術館の際立った特徴は、展覧会の比較的多くが巡回展ではなく館独自の開催だということです。そのためコンセプトや企画に関して、より明確なのだと思いますが、森田さんは、さらに細かい部分まで示してくれます。例えば来館を見込んでいる人の年齢層だとか、この展覧会が1年の流れのなかで、どのように位置付けられているか等。そこから実際に表現するとなると難航したり、紆余曲折もありますが、大元の方向性は最初の段階でほとんど理解できます。
森田 ときにはチラシなどのラフデザインを描いて説明することもあります。私は以前、川口現代美術館というところにいて、準備室で5年、開館して5年活動していました。その時は広報物にかけられる予算が少なかったので、プロのデザイナーに依頼することはほとんどできず、印刷会社でデザインをつくってもらっていたんです。もちろんデザインの大枠やスタイルは自分でつくらざるを得ない状況でした。結果としてなかなか満足できるものはできませんでしたが、今でも広報物のイメージは浮かびますし、そのイメージや要望はしっかりと伝えていこうと常に意識しています。それが大溝さんの役に立っている場合もあるでしょうし、反面、製作上の足かせになっていることもあると思いますが…。
大溝 足かせという感じはありませんね。森田さんの説明を聞いて、自分が抱いたイメージと違った場合にはその都度つたえていますし、そこからお互いの意見を詰めていきますから。
森田 大溝さんとは製作をめぐって激しい議論になることもあります。たまに「こっちがクライアントなんだから…」という言葉が出そうになったりもしますが、クライアントの言う通りにつくったからといって良いものができるとは限らない。私が以前のようにアートディレクションをしたとしても、できあがったものが野暮ったかったらプロに依頼している意味がありません。デザイナーには展覧会のコンセプトやイメージを尊重してもらいつつ、プロとしてのセンスを盛り込んでほしい。結局、美術館、デザイナー双方のバランスが大事で、どちらか一方が強くてもあまり良いものはできないと思います。その点、大溝さんには満足できる結果を出してもらっています。
大溝 森田さんも私も細部までイメージを描いているだけに、どうしても「100%意見が合う」とはいきません。もちろん合っているところは問題ないのですが、違う点に関しては、しっかりと話し合います。
森田 企画者である私は、広報物も作品に即した要素を基本に考えます。対してデザイナーである大溝さんは、「グラフィックな見え方」に力を入れているように感じます。例えば文字の場合、私は読みやすさを最優先して、「もう少し大きくしてほしい」などと要望しますが、大溝さんはそこにグラフィック的な要素を加味してくるんです。そこが一番の違いではないでしょうか」
大溝 僕としては、決してデザインとして考えているわけではありません。森田さんとは違う視点から見ていると言ったほうがいいでしょうか。森田さんは企画者としての立場上、企画そのものや作品の見せ方から中心に考えると思うんです。それが森田さんの仕事であり、ごく当たり前のこと。一方、僕の場合は展覧会を訪れる来場者の立場、外部の視点で捉えるようにしています。そうしたときに、「文字がないほうがいい」とか「写真はもっと別の見せ方をしたほうがいい」などと感じるわけです。
展覧会の広報物に必要なもの
大溝 以前から美術館めぐりは好きで、よく行きます。そうするとチラシやポスターにも自然に目がいくんですが、ほとんど満足できるものがない。展覧会はおもしろいのに広報物がつまらないんです。これはとても勿体ない話だと思います。広報物だって、もっと楽しくするというか、違うやり方があるはずです。語弊があるかもしれませんが、個人的には美術館に行くのも、映画を観にいったり、コンサートに行くのと、さほど変わらないと思っています。展覧会もエンターテインメントの一種。それなのに、広報物であるチラシやポスターが美術館の敷居を妙に高く見せているように感じるんです。実際はもっと親しみやすく楽しい場所なのに、広報物で伝え切れていない。
森田 確かに以前は、型にはまったような感じの広報物が多かったと思います。ただ、最近は一昔前に比べて大分、バリエーションが増えてきました。美術館自体も高尚な場所という感じから、もっと日常的に気軽に楽しめる場所に変わってきていると思います。ただ大溝さんはもっと親しみやすくと考えて、美術館の1アイテムである広報物製作に力を入れているんでしょうね。
大溝 展覧会の広報物には人を呼ぼうという、広告的な意識、アプローチが薄い気がするんです。もちろん、車や電化製品の広告のように、単に「多く売れればいい」「集客できればいい」というものとは違いますが、もっと他の方法もある気がします。
森田 私個人としては広告という意識はありません。むしろ、いろいろな意味での「クォリティ」を追求しています。展覧会自体のクォリティはもちろんですが、ポスターやチラシ、カタログにもクォリティを求めます。こうしたツール類はある意味では消費物ですが、だからといって会期や会場、概要が分かるといった告知の機能だけを果たすものではありません。告知だけが目的なら、デザイン的な要素を求めないし、デザイナーに依頼する必要もない。でも、美術館というアートに係わる施設の告知物ですから、やはり、センスを感じられないものでは、まずいと思うんです。
大溝 商業的な広告は、それこそ消費物であって1週間〜 1ヵ月程度でなくなっていくのが普通ですが、美術館の広報物は何十年、何百年と残っていく可能性がありますからね。
森田 一部のポスターやカタログは販売もしているので、長く残っていくかもしれませんね。例えば『ウィーンの夢と憧れ』展のポスターは図版を一切使っておらずデザインだけで表現したのですが、とても人気がありました。やはり、美術館の製作物が美的でなかったら失望されると思うんです。だからといって毎回、成功するのか、来館者の反応が良いかというと、そうとも言い切れませんが…
大溝 『ウィーンの夢と憧れ』展のときは、私から「図版を使わずにグラフィックでやりたい」と伝えました。逆に、ビジュアルイメージがない、もしくは使わないでグラフィックで表現するように依頼されるときもあります」
森田 『融点・詩と彫刻による』展のときは、それこそ使えるビジュアルイメージが何もなかったんです。詩と彫刻をテーマにしたインスタレーション展だったんですが、新作が展示されるので広報物に載せるのは物理的に無理。ですから作家の名前や展覧会名を強く押し出そうと考え、大溝さんにも伝えました」
大溝 文字やグラフィック中心で考えてほしいと言われましたね。でも出品作家6人の名前を載せたところで、知っている人は限られている。「これじゃあ、人は呼べないですよ」と言ったら、森田さんは「この企画展では、別のことを考えています」と言われました。
森田 「間口は狭くても奥行きの深い展覧会にしたい」と伝えたと思います。出品作家を知っている人たちが来て、満足してくれる展覧会を目指したんです。
大溝 「多くの人を呼ぶ」だけでなく違ったアプローチがあることを実感しましたね。もし、「一人でも多くの人に来てもらえるように…」と考えたら、失敗していたかもしれません。
森田 『まどわしの空間』展のときは、イメージが限定されてしまうので特定の作品をピックアップして掲載することは避けたかった。そこで大溝さんに、「展覧会のテーマである遠近法をグラフィックで表現してください」とお願いしました。
大溝 「大溝さんはグラフィックデザイナーだから、写真や絵を使わずに、文字や色で表現してほしい」と言われたんです。なかなか難しい依頼ではありましたが、それだけにやり甲斐もありました。「出品作家に続く17人目の作家のつもりでやってほしい」とも言われ、とても嬉しかったですね。
森田 ただ毎回、デザイン中心でつくっているわけではありません。図版を使うこともあります。どちらにするかは、その展覧会によりけりですね。いずれにせよ、大溝さんには撮影に立ち会ってもらうこともあります。もちろん事前にコンセプトなどは伝えていますが、なるべく素材感をポスターやチラシにも反映したいので、ポジやデータではなく直接、見てもらうことも大切だと思います。
大溝 デザインへのこだわりという点でいえば、デザインやレイアウトに合わせてテキストを調整することもありますね。普通、美術館側からもらったテキストには一切、手を入れないで、そのままレイアウトするんですが、森田さんはデザインを統一するために、文字数の少ない箇所の文字を増やしたり、文章を書き直したりもするんです。
森田 少し書き直したからといってテキストの内容が変わるわけではありません。むしろデザイン上の調整ですね。
展覧会と広報物の関係
森田 展覧会の広報物は基本的な予算がないと製作できません。だからといって予算がなければできないものでもありません。たとえ安い紙を使ってもクォリティの高いポスターやチラシをつくることはできます。無理に4色刷りにこだわる必要もない。ただ、カタログには本としてのクォリティは求めます。単に良い紙を使っているとか、装丁が良いということではなく内容です。どんな展覧会であれ会期が終了すればなくなってしまいます。でもカタログはなくなりません。カタログは単なる記録ではなく、展覧会の成果物として残っていくものなのです。だからこそ内容を充実させたい。チラシやポスターも消費物という一面は持っているけれど、他面では単に消費される広告とは違うものだと思います。
大溝 僕は美術館と他の広告物の仕事を相反するものとして区別はしていません。逆に美術館の広報物に商品広告の要素を取り込むこともありますし、その逆のケースもあります。具体的に何というわけではありませんが、自分のなかでバランスを取っている気がします。
森田 展覧会は、いろいろな要素がつながって全体として1つの展覧会を構成しています。もちろん広報物も大切な1要素です。ですから、大溝さんに素材を渡して後はすべてお任せという形にはしたくありません。お互いに深く係わり合いながら進行するのは、それだけ苦労もありますが、結果として良いものができればと思っています。
大溝 苦労といっても路頭に迷ってわけも分からず進んでいる感じではありません。しっかりと定着点を目指しているのが実感できるので、やり甲斐のある仕事です。
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