2003年10月
illustration/AD訪問 大溝裕(Glanz)
───まず大溝さんがデザイナーを志したきっかけからお聞かせください。
大溝裕 もともとは体育会系でサッカーばかりやっていて,デザインや美術とは無縁だったのですが,たまたま美大に進むことになって。ちょうど 80
年代の初めのニューペインティングなどがブームの頃で,そういったものに刺激を受けたりしました。日比野克彦さんとかタナカノリユキさんが日本グラフィック展から出てきた時期で,あの頃は猫も杓子もイラストレーターを目指すみたいな感じで。僕もイラストレーター志望ではなかったけど,絵ばっかり描いていました。絵やイラストレーションがきっかけで,後でデザインの世界を知ったという感じです。
───デザインの世界を知って,最初に感銘を受けたのはどんな人ですか。
大溝 デザインに興味を持ち始めてからは,むしろ井上嗣也さんや,前のボスでもある水谷孝次さんのように,写真を使った力強いアートディレクションに強く惹かれたりしました。また,当時は井上さんや戸田正寿さんが結構自分で絵も描いていて,『イラストレーション』誌でも「絵を描くAD」特集(No.37)があって,そういうのに憧れたりしました。
───デザイナーを志す中で,自分もそういう風に絵を描きたいという思いはありましたか。
大溝 そうでもないんです。今から思えば,絵を描きたいと言うより何か表現をしたかったんですね。まだデザインの世界も知らなかったし,たまたま絵やイラストレーションが入り口だったと思うんです。今だったら写真かもしれないし。実際にデザインの仕事を始めてからは,絵は描ける人に頼み,自分一人では出来ないことを共同作業の中で生み出すことの方がむしろ楽しくて,自分で描こうという気持ちはあまりなくなりました。
デザインは机の上では始まらない
───学校を卒業されてすぐに水谷孝次さんの事務所へ?
大溝 いえ,水谷事務所へ行ったのは仕事を始めて3,4年目,もう三つか四つ目の会社でした。僕は学生時代はデザインなんて全然やらず,今から思うと恥ずかしい,わけの分からない絵ばかり描いたり,それこそチョイスにもグラフィック展にも出したけど,全然引っかからず。デザインをやろうと思って,いろんな人に会ってもらったけど,結局どこにも就職出来なくて。その後は清水正己さんの事務所で少しバイトさせてもらったり,マグナとかいくつかのデザイン会社を転々としていました。清水さんの所へは何も分からず単純な憧れで行ったんですけど,外から見るのと現実は全く違うわけで,そこでデザインの世界の厳しさを初めて知って,一旦挫折して,その後水谷事務所へたどり着いた感じです。
───水谷さんの所にいた期間が比較的長いですよね。その間に特に強く教えられたことは何ですか。
大溝 6年以上いたんですかね。いろいろあるけど,水谷事務所に入って初めていろんな意味でデザインという仕事が分かったというか。例えば,レイアウトなど机の上でする作業というのは,デザインの仕事全体の中では10〜20%だったりするわけで,それ以前に関わることが諸々あるわけじゃないですか。水谷さんからは机の上以外のデザインの重要性みたいなことを一番口酸っぱく言われていました。
───テクニック的なことやテイストとか,そういうところでは。
大溝 いいか悪いかは別にして,こうやれ,ああやれとか全然押しつけがなかったんです。僕は右も左も分からず入ったわけですけど,「とにかく良ければ何でもいいんだから」という感じで,割と自由にやらせてもらって,そういう意味ですごくやりがいはあった。ダメなものはダメなので,失敗したらどうしようと最初は結構プレッシャーで失敗も多くしましたが,逆にそのおかげで徐々に力がついていったかと思います。表面上のテクニック的なこととかレイアウトとか,具体的に机の上で学んだことも当然あるんですが,一番学んだのはむしろそこに至るまでのことですね。
───独立を考えた時期というのは,何かきっかけがあったんですか。
大溝 この仕事を始めた当初から,いずれは独立して一人でやりたいという考えは何となくありました。そう思いながらも結構長くいたのは,僕としては水谷事務所での仕事は楽しかったんですよ。好きにやらせてもらっていたし,居心地は良かった。この仕事が一段落ついたら辞めようかなと内心思っていると,また面白そうな仕事が来たりして…。きっかけは特になく,東京シティ競馬(TCK)のキャンペーンを最後までやって(96〜97年),いろいろ面白いことが出来たし,いい区切りだったんで,もうそろそろかなぐらいのことです。水谷さんに話したら,快く送り出してくれました。
広告からエディトリアル主体に
───独立して,最初の仕事はどんなものですか。
大溝 特に何の当てもなかったんですが,写真家の斎門富士男さんがパルコで展覧会をやるので,そのポスターなどを作ってくれないかという話が僕が独立しようと思っていた時期にあって。斎門さんとは以前にコシノヒロコさんの本「HK2001」の仕事で一緒に中国に行ったりしたんです。それが最初の仕事で,ラッキーなことに,その後もパルコでいろいろやらせて貰った。その流れでリタ・アッカーマンの本を出して,それがきっかけで(版元の)ロッキンオンの『H』の仕事を少しやらせてもらって,編集長だった斉藤まことさんが会社を辞めて,新たに創刊した『spoon.』の仕事が来た,という流れです。
───以前は広告が主体だと思いますが,独立後はどちらかと言えばエディトリアル系が多いですね。
大溝 以前はポスターなど比較的大きなものを作ることが多かったので,一人になってからは,実際手に取って見られる物,店頭に並んでお金を出して買って貰うようなダイレクトな反応を得られるようなものをやってみたい気持ちがありました。広告には広告の魅力があって,直接的ではないけど,キャンペーンともなると,何か大きなものを動かしているという独特のダイナミズムがある。形になるのは1枚のポスター,1枚のプリントで,それは雑誌と変わりはないんだけど,やっぱり仕掛けるとか動かすというエディトリアルでは得られない魅力があります。
変容していく雑誌をデザインする
───『spoon.』の創刊からアートディレクションを担当されていますが,一言で語るのが難しい雑誌ですよね。その基本的なイメージ作りには,どういう形で関わっていったのですか。
大溝 最初は本当に手探りで始めた感じです。自分もそうだし,編集長の斉藤さんも多分そうだと思うんですけど,今までにない雑誌を作ろうとしているので,具体的にどのような本かということもうまく言葉に出来ないわけで。1年経ってやっと何となく『spoon.』的というか,お互いある程度共通のイメージは得られるようになったと思うんですけど。一つ,最初のスタート段階で雑誌を特徴づけたのは,冬野さほさんの絵だと思うんです。『spoon.』の顔というかキャラクターみたいな位置づけで,最初のイメージの共通項としてありました。例えば冬野さんのページがあって,次にファッションが来てもおかしくないかとか,ロゴを作るにしても何を作るにしても,冬野さんの絵にはめてみたりしてやってきた感じです。その後はどんどん進化・変容していると思いますが。
───毎回方向性が変わると言うか,いろんなテーマを取り上げていますね。
大溝 斉藤さんの基本的な考えとして,既存の雑誌にないものを作ろうというのがまずあって。読者は多分10代から20代前半ぐらいの女性が大半で,そういう意味ではファッションページもあるけど,ファッションだけに収まらず毎回何かプラスアルファを求められる。それは企画の部分でもデザインでもそうで,そこが『spoon.』なのかなと思います。
───スタイルが出来上がった雑誌と言うよりは,作りながら変容して行く雑誌という感じですね。
大溝 表層的な意味での決まったスタイルは全くないと思うし,その都度変わっていくというか,デザイン一つとっても,まずフォーマットがないんです。スタートした頃は一応デザインフォーマットを作ったんですが,実際使用したのは創刊準備号の1回だけ。企画が変わると,文字組みから何もかも変えていくので結構大変ですね。その都度たくさんの広告を作っているというか,毎回違う本を作っているみたいな感じはあります。僕は雑誌自体が初めてで,雑誌どころかエディトリアルもそんなにやったことがないので,雑誌をやっている他の人の手法とは全然違うだろうし,そういう人から見ると非常に特殊で効率の悪いやり方をしているんだろうと思います。
───フォーマットがなく,全てその都度作っていくという。
大溝 企画の8〜9割は,編集サイドでかなり練られてから僕が関わります。企画が決まり,撮影は時間が許す限り立ち会って,そこからディレクションがスタートする。撮影前は8ページの予定でも,すごく良ければ増やすこともあるし,その辺はかなり流動的に作りながら変化していきます。イラストレーションをいわゆるカット的にここ空いたから何か入れようとか,そういう誌面の作り方は『spoon.』の場合ない。企画の意図はもう明確になっているので,必要のないものは入る余地がない。使う時は必須なんです。
───『spoon.』のロゴは手描きっぽいですけど,フォントでも有機的な文字を割とよく使っているようですが。
大溝 文字というのはデザインの基本なので,常々こだわるところではありますけど,と言って自分は絶対こうだとか,あるスタイルに強く固執しているわけではないんです。その時々で自分の中でも変容していくので。あまり意識はしていませんが,たまたま今そういう有機的なものになっているのかも知れない。
おかしなもので,文字も時代が変わるとともに見え方も感じ方も変わるわけで,10年前はこんなの格好悪くて使えないと思ったものも,10年経ってみると何か可愛いとか面白いと思って使ったりします。
必然性があるデザインかどうか
───パッケージやステーショナリーのデザインもされていますね。
大溝 ファッション関係は,ブランドロゴだけにとどまらず,タグ,ショッピングバッグ,ブローシュアなどショップまわりの細かいものも結構やっています。うらわ美術館はオープンする2年ぐらい前から,ロゴの制作や,準備ニュースその他さまざまな出版物に関わっていて,名刺や封筒,玄関
などのデザインもしました。
───うらわ美術館は本などを扱ったメディアアートの展示が多いですね。
大溝 規模的にはさほど大きくない所ですけど,アートにまつわる本をいろいろ収集したりして,個性的で面白いですね。開館して最初の二つの企画展の仕事もやらせてもらって,これは二つ目の「もうひとつの扉」展という本の展覧会の図録です。普通書籍には使わない表裏の紙質が違う紙を使って,4色と1色交互の構成に。実は予算の都合もあって,4色で出来るページは全体の半分ぐらいしかなくて,普通にやると前半は4色だけど後半は1色ページになってしまうわけですが,それを逆手にとってこういう設計にすれば,見ようによっては全部カラーだし,本としてもより立体的になって面白いと思ったんです。
───載っている図版の点数はすごく多いですね。
大溝 そこはあえて資料的なカタログにしたんです。ユニークな本を集めた展覧会なので,最初美術館からはそこで展示する本に負けないくらい画期的で面白いもの,変わった装幀であるとか何か仕掛けがあるものを期待されたのですが,逆にシンプルに,表紙もあえて何も入れず,真っ白の束見本のようにしました。これだけ多くの図版で,しかも個性的な本ばかりなので,あえてシンプルにデータ的にまとめるのがベストだと思ったんです。
───展示物には予算など度外視で作られている本も多いでしょうしね。
大溝 こういった図録の場合でも,面白ければいいと言っても,必然性もないのに何か変わっているものや妙に凝りすぎていたりするものはどうかと思いますけどね。
───面白いユニークなデザインにも,その必然性があるべきだと。
大溝 必ずしもそうとは思いませんが,画期的な面白いアイデアが浮かんだとしても,一度引いてみて,本当に必要かどうか, 自分の中でよく検討してみます。それはまた,
例えば広告の仕事などで,代理店から「B全ポスター連貼りで媒体はこうで」という風に話が来た時にでも,“本当にポスターが必要なのか”というところから考え直したりすることも含めて。そこがデザインの面白いところであり,重要なことだと思っています。いつもそういうところに立ち返って,果たしてそれでなければいけないのかと考えることがよくあります。
キャッチボールが出来る関係
───今進行中のお仕事や,あるいはプランとして考えているもので,何か面白いものはありますか。
大溝 写真家で作家の藤原新也さんから装幀の話が来て,ちょうど進行中なんですよ。一緒にお仕事をするのはこれが初めてで,藤原さんのホームページの文章と写真をまとめた本になるんです。僕は藤原さんって写真のイメージしかなかったけど,初めて藤原さんの絵を見せられて,全部コンピューターで描かれていて,どの絵もすごく面白い。ホームページはこの猫の絵が表紙になっているんですけど,他にも猫の色や形がエフェクトによってさまざまに変化していたり,アウトサイダーアートみたいな絵もあって,みんな力があってすごいなという感じです。
───一緒に仕事したイラストレーターで,印象深い方はいますか。
大溝 TCKの時に伊藤桂司さんと何回か一緒にやりましたが,伊藤さんはすごくキャリアが長いじゃないですか。それこそ僕が学生の頃から活躍していたけど,今だにいろんなところで見かけても常に新鮮で,やっぱりそれはすごいと思う。一緒に仕事する時も,こういうスタイルで描いてくださいという頼み方ではなく,広告なのでお互い目指すところが一つあって,そのためにどういう表現がいいのか何回もキャッチボールしていける。その場合,こちらがデザイナーで向こうは絵を描く人,というのがあまりなくなるんですよ。デザインまで伊藤さんにやって貰っても全然OKみたいな。そういう関係で出来ると,何か新しいものが生まれるがするし,刺激的で面白いですね。
───若いイラストレーターの作品を見る機会も多いと思いますが,何か感じることはありますか。
大溝 最近特に積極的に見ているわけではないけど,『イラストレーション』誌などを見ると,みんな結構上手いというか,面白い絵を描く子がいるなとは思うんですよ。そこそこセンス良さそうだし,頼めば結構面白いものが描けるかなというレベルでの期待はあるけど,もっと強い何か,どこかから仕事を引っ張って来てでも何とかこの人とやってみたいとか,そこまで思わせる人は正直なところあまりいないですね。可能性のある人は結構いそうな気がするけど,逆に彼らがそういう力を発揮する場がないのは,(発注する)僕らの責任でもあると思います。
掲載誌/「illustration」2002年7月号 玄光社刊